ベトナムの竈神と竈 ーアンリ・オジェ編纂の版画を中心にー








はじめに

 竈神はベトナム・キン族(越族)にとって家族を守る重要な神として信仰され、現在も毎年陰暦12月23日には各家庭で竈神を天に見送る儀礼が行われている。中国の影響を受ける竈神はベトナムでは三柱からなる「オンタオ(翁竈)」として都市部や村落に関係なく広く祀られている。その一方で祀り方は地域により異なりをみせる。この三柱のもとになっているのは、ベトナムで使用されてきた竈(煮炊き用の道具)が関係していると考える。

 竈神はベトナム・キン族(越族)にとって家族を守る重要な神として信仰され、現在も毎年陰暦12月23日には各家庭で竈神を天に見送る儀礼が行われている。中国の影響を受ける竈神はベトナムでは三柱からなる「オンタオ(翁竈)」として都市部や村落に関係なく広く祀られている。その一方で祀り方は地域により異なりをみせる。この三柱のもとになっているのは、ベトナムで使用されてきた竈(煮炊き用の道具)が関係していると考える。

これまで竈や焜炉などベトナムの台所道具についての研究や道具と竈神の関わりに言及した研究は管見の限り見当たらない。フランス人研究者アンリ・オジェは、20世紀初頭に北部地域の人々の生活や技術を調査し版画に残している。そのなかに家庭での煮炊きや竈神を祀る様子などが含まれている。貴重な資料であり、この版画はさまざまな場面で引用されてきたが、これまで体系的な整理はされていない。

本稿では、オジェ編纂の版画を中心に、実用品としての竈と竈神を祀る儀礼がどのように描かれているかを整理する。そしてベトナムのなかでもより古い竈神儀礼の形式を継承しているフエ地域の事例を提示し、現在の竈神の信仰とどのように結びついているのかという視点からベトナムの竈神と竈について論じてみたい。

1.ベトナムの竈神と竈について 

(1)ベトナムの竈神とは 

三柱の竈神は、「ハイオン・モッバー(Hai ông một bà)」である。ハイオンは2人の男性、モッバーは1人の女性という意味で、男神二柱(両側に配置)・女神一柱(中央)からなる竈神がベトナムでは信仰されている。この三柱の竈神の由来は昔話で語られ、人々に広く知られている[1]。中国の竈神の影響を受けながらも土着の信仰と融合し、ベトナム独自の「オンタオ」という竈神を形成してきた。一方でその祀り方は地域によって多様である。以下に現在の地域の竈神を祀る儀礼の特徴を簡単に説明しておく。

北部地域では、ほとんどの家の竈神は台所ではなく祖先の祭壇で祀られている[1]。祭壇の中央に置かれた香炉で、土公と呼ばれる土地神とともに祀られている。日常的にはあまり竈神の存在は大きくないが、1年に1度の儀礼は他の地域と比べても盛大である。供物の数も多く、マー(mã)とよばれる紙の冥器を大量に燃やして天に送る。マーには竈神三柱用の冠と靴が用意され、また竈神は鯉に乗って天に昇ると考えられているため、川や池に鯉が放生される。

中南部地域では、竈神は台所に作られた祭壇で祀られる。中部クアンナム省ホイアンや南部ホーチミン市やその近郊では、竈神の祭壇に、「定福灶君」と書かれた神牌が置かれている家が多い。1日・15日に果物や水を供えて祀り、日常的に竈神は家族と近い存在にある。それとは対照的に綺麗は、供物もマーも少なく非常にシンプルである。鯉の放生も行わない。「定福灶君」の神牌の交換は行っていない。

旧王都であった中部フエ地域の竈神は、前述した内容とは異なる。古い儀礼を継承しつつ独自の展開をしている。フエ地域については、オジェ編纂の版画に記された竈神と竈との現在の関わりとして後述したい。

(2)ベトナムの竈とは

ここでは、ベトナム・キン族の人々がどのような道具を使用して煮炊きをしていたのか簡単にみていきたい。

①歴史時代以前の土製支脚

土製支脚とは「炉中に三つ並べ据えて、甕・釜の類を火に懸けるための支え脚」である(小林1941:276)。この土製支脚が、「北部のドンソン期を除き、北ベトナムの先ドンソン[1]〜ドンソン文化の居住址に常出する。」とある(大林、今村、宇野1984:141)。先ドンソンの一つ、4000BP頃から3000BP頃の後期新石器時代後半期のフングエン期[2]に出土した土製支脚がハノイの歴史博物館に展示されている(図1)。

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図1:フングエン文化の土製支脚 4,000B.P- 3,000B.P 出典:ハノイ歴史博物館 (2013)

ベトナム北部を中心に分布する初期鉄器文化である、ドンソン文化の居住址からも土製支脚が出土している(図2)。多少形態は異なるが、土製の3つの支脚であることは変わらない。

②歴史時代以降の土製支脚と土製焜炉

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図2:ドンソン文化の土製支脚 紀元前3-4世紀〜紀元1世紀 出典:ハノイ歴史博物館 (2013)

歴史時代以前から大きく時間を隔てるが、17世紀から19世紀にかけて住居址から煮炊きに使用された道具が出土されている。昭和女子大学が継続的に行っている中部クアンナム省ホイアンでの考古学研究の報告書からは、ファン・チュー・チン129から2点の土製焜炉片(17世紀後半)が出土している(昭和女子大学国際文化研究所紀要 1997)。2002年に出された報告書では、ホイアン旧市街にあるファン・チュー・チン69 /5地点から7点の土製焜炉片等(18世紀)の出土が報告されている(昭和女子大学国際文化研究所紀要2002:59)。

北部ナムディン省バッコック村での村落調査の報告のなかでは、ソム (xóm) Bの XB (xómB) 地点のL4−3層から土製支脚を使用した炉址 (18世紀) が確認された(西村2011:238)。

以上の出土遺物の報告により、17−18世紀の住居では土製支脚や移動式土製焜炉が併存して実際に使用されていたことがわかる。土製支脚は、フングエン文化やドンソン文化を経て17−18世紀まで継続されていたと考えられる。

2.アンリ・オジェ編纂の版画からみる竈と竈神

フランス人アンリ・オジェは、1908-1909年にかけて約20ヶ月間、ベトナム北部地域の人々の生活を調査し、ベトナム人の日常や生活技術を版画によって記録していった。これらの版画は、ベトナム人の絵師に構図を描かせ、儒学者に漢喃で画賛を書かせ、そのうえで版画職人に依頼して完成させたものである[1](菅野 2004 : 250)。筆者の手元には、2009年に再版されたオジェ編纂の版画がある。全3巻からなり、第1巻には「安南の人たちの職業についての総合的な考察」と、版画についての解説が載せられ、第2巻と第3巻には版画が総頁700頁、1頁に3点〜7点ほど掲載されている。最初に、どのような竈が煮炊きに用いられたかをみていこう。

(1)竈 

版画のなかに土製支脚などの煮炊き道具は、26点描かれているのが確認できる(図3)。土製支脚8点、レンガを積み立てたような土製支脚1点、五徳2点(そのうち1点は土製支脚と併記)、土製焜炉7点、銅製焜炉1点、土製焜炉(南部)1点、竈7点である。少し詳しくみていくと、家での煮炊きと関連した土製支脚は、4点(3,5,6,8)である。2や4は職人の仕事で使用する大型の土製支脚のようである。9の土製支脚は洗濯屋で用いられており、レンガを組み合わせて作られた大型のものであろう。1は土製支脚を用いて飯炊きを競い合っている。この競争は現在でも北部地域の寺院の祭りで行われている。煮炊きに用いる道具をもっとも顕著に描いているのは、8の「家厨」の版画である。三つの煮炊き道具が小屋に置かれている。そのうちの二つ、中央と右側に土製支脚がある。あと一つは五徳である。北部地域では、このような台所が設置された民家が一般的であったと思われる。また、この版画から台所が家のなかに置かれておらず、別棟の小屋が作られていたことが推測できる。

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図3:オジェ編纂の版画に描かれた煮炊き道具 出典: Oger, Henri 2009(1909)

次に土製焜炉をみていきたい。7点(10,12-17)の土製焜炉は大きさの差はあるようだが、形式はほぼ同じようである。家で調理するのに使用したり、薬の調合や灯篭作りなどの仕事に使用したりしていることがわかる。11の焜炉は銅製のようであるが定かではない。また、18の版画は解説に土製焜炉とだけあるが、この形は南部地域でよく使用されているものである。

竈は7点(19-25)描かれているが、どれも家庭用ではなく、職業として食品を生産するための竈(炉)である。人々のあいだで竈が作られ使用されていたことがわかるが、家庭に普及しなかったこともまた版画から明らかである。次に竈神に関する版画をみていこう。

(2)竈神を祀る儀礼

オジェ編纂の版画のなかには、竈神を祀る儀礼の様子が描かれたものが5点ある(図4)。

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図4:オジェ編纂の版画に描かれた竈神 出典: Oger, Henri 2009(1909)

①土製支脚と五徳が手前に、その奥に香炉などが置かれている。土製支脚と五徳の前で女性がかがんだ姿で猫を連れている。解説には「灶君神(竈神)を祀る」とある。猫が竈神を祀ることと関係があるのかは不明である。また、土製支脚と五徳には薪などの燃料や灰が描かれていないため、実用品ではなく神体として置かれていると考えることもできるかもしれない。

②「灶君位」と書かれた版画である。中央に女神一柱、左右に男神二柱が描かれている。解説には、「灶君神(民間版画)Thần Táo Quân (Tranh dân gian)」とある。屋内に竈神三人が座り、外には家畜や道具などが描かれている[1]。

③上から吊るされた形の祭壇には、中央に「灶君位」と書かれた神牌が置かれている。祭壇には三つの冠:中央に女性の冠、左右には男性用の冠が祀られ、その手前には香炉、茶碗(水か酒が入っていると思われる)、小皿(何が載せられているか不明)、燭台?と花瓶?が置かれている。解説には、「吊り下げられた土公の祭壇Bàn thờ thổ công theo cao」とある。土公と記されているが、祭壇に置かれた神牌に「灶君位」とあるため竈神の祭壇である。解説で「土公の祭壇」と記された点については、ベトナム北部地域の竈神が土公と混淆されていることと関わりがあると考えられるが、ここでは特に触れないでおく[1]。

④ 土製支脚の置かれた場所で男性が穢れを洗う様子が描かれている。漢喃語が書かれており、意味は「台所で穢を洗うTẩy uế trong bếp」である。版画の解説には、「儀礼Lễ cúng」と記されているだけであり、竈神の儀礼が行われているわけではないようである。男性が手にしているのは、榊のようなものと茶碗である。土製支脚の置かれた場所で穢れを清める儀礼を行うことは注目すべきである。

⑤土製支脚や土製焜炉がいくつも木の根元に置かれている。そこへ女性が土製焜炉を置こうとしている様子が描かれている。版画には、ベトナム独自の漢字チューノム(喃字)が記されている。その言葉の意味は、「竈王の交換」である。解説には、「オンタオ(竈神)を祀るThờ ông Táo」とある。すなわち、この版画は竈神を祀る儀礼で、女性が竈神の交換として土製焜炉または土製支脚を木の下に置きに来たとみることができる。手前の円錐のような形ものが何かは不明である。

オジェ編纂による版画は、20世紀初めの北部地域の竈神を祀る儀礼の様子を非常に興味深く描いている。残念ながら簡潔な解説のため、細部に不明な点がいくつかみられる。今後、さまざまな儀礼や資料から改めて検証していくことが必要であろう。ここでは、これらの儀礼が現在どのように継承されているのだろうかという点についてみていきたい。前述したように、現在の北部地域の竈神は祖先の祭壇で香炉を神体として祀られているため、版画に描かれたような祀り方や儀礼はみられない。そこで、ベトナムのなかでも古い竈神の儀礼を継承している中部フエ地域の竈神を祀る儀礼を次にみていくことにする。

3.現在の竈神と竈      

ここからはフエ地域で行った調査をもとに、人々がどのように竈神を祀っているのか、竈神の神体と実用品としての竈を中心に述べていきたい。

(1)フエ地域の竈と台所              

現在はフエ地域でも台所にガスコンロが置かれている家が多い。近年新しく建てられる家は、ベトナムの他の多くの地域と同様に2階または3階建ての家屋で屋内に台所が作られる。フエ地域の伝統的な家屋は、平家造りで主屋の左側[1]に並列して付属屋が建てられる。その付属屋に台所が置かれている。伝統的な造りの家でも内部を改装し台所にはガスコンロが設置されている場合が多いが、なかにはもともとある地炉には五徳や焜炉、別の場所にガスコンロを置いて併用して調理に使用している家もある。また、地炉に少し壊れた土製支脚が置かれている家もある。具体的にいくつかの事例をみていきたい。

事例1 フォックティック村[1] L.Đ氏 男性 70歳(2012年当時)(2012年8月聞き取り) 

伝統的な家屋である。現在はガスコンロが置かれているが、1950年頃まで自分の家で土製支脚を作っていた。女性が初めに粘土で形を作り、その後で男性が形を整え、焼成は村の窯を使用しみんなで一緒に行っていたという。土製支脚は非常に壊れやすいため、1950年以降は五徳やオイルコンロに変え、1980年代からガスコンロを使い始めている。

事例2 フォックティック村 L.P氏 男性 50歳(2012年当時)(2012年8月聞き取り)

伝統的な家屋で、もともと炉があった場所にはガスコンロが置かれている。1985年ごろにガスコンロを使い始め、その際に付属屋を増設して新たに高台の炉を作った。そこに五徳を置き薪を燃料にして時々煮炊きをしている。大鍋などを使用するときは五徳で煮炊きをする。1980年ごろまで土製支脚を使用していた。昔は土製支脚用の型があり粘土を入れて形をつくり、焼成は村の窯を使って男女みんなで行っていた。

事例3 シン村[1]  P.H氏 男性 61歳(2016年当時)(2016年6月聞き取り) 

2016年当時、ガスコンロは使用していない。地炉に土製の焜炉と少し高い台を置いた上に土製支脚が置かれ、煮炊きに使用している。土製支脚の三つの支脚とも上半分が壊れ鉄の棒で三つの土製支脚をつなげている(図5)。祭壇は上部に置かれている。この土製支脚は同じ村に住むK.P氏の家でも2012年に見かけたが、地炉に置かれた土製支脚とは別の場所にガスコンロが置かれていた。2015年には家を改装し、地炉はそのまま残されているが土製支脚はなくなり、その代わりに五徳が置かれている。2018年も同じ状況である。

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図5:土製支脚を使用  竈神の祭壇(上)

事例4 フンホー社[1] H.K氏 男性 62歳(2016年当時)(2012年8月、2016年2月聞き取り)

1981年に家を改装したが、造りは伝統的家屋である。付属屋にある台所ではガスコンロが置かれ、調理に使用している。家を改装した1981年から高台の炉で五徳を使用し、1999年からガスコンロを使用しているという。それ以前(1980年まで)は土製支脚を使用してきたが、自分の家で作ったことはなく、市場で土製支脚を購入していたという。その時は藁や薪などの植物燃料を使用していた。

以上、四つの事例を提示したが、ガスコンロを使用している家でも30年ほど前までは土製支脚を使用していたことが人々の記憶に残っている。また、現在でも土製の焜炉や五徳を置き併用して調理をする家も珍しくなく、土製支脚が置かれている家もある。四つの事例は特別なケースではなく、フエ地域においては一般的である。次に竈神の神体についてみていこう。

(2)竈神を祀る

フエ地域の人々の多くは竈神を祀り儀礼を行っている。ここでは竈神と竈の関係が見られる事例をいくつか紹介したい。

事例5 フエ市旧市街 P.V氏 女性 37歳(2012年当時)(2012年8月聞き取り)

1987年頃まで炉に土製支脚が置かれていたという。その頃はガスコンロを使用し始めていたため、土製支脚は実際には使っていない。しかし、竈神を祀るために時々火をつけて土製支脚を温めたり、湯を沸かしたりしていた。今は小型の竈神の神像を祭壇で祀っているが、子どもの頃に実用品として土製支脚を使用していたときは、土製支脚が竈神であったという。

事例6 ディアリン村[1] V.D氏 男性 62歳(2016年当時)(2016年6月聞き取り)

V.D氏は、ディアリン村で竈神の神像を生産している。現在製作している神像は3種類で、実用品としても使用できる土製支脚、土製支脚を象った小型の神像、竈神三柱を象った小型の神像である。60年ほど前にV.D氏の父親が神像作りの仕事を始めた頃は、実用品としての土製支脚と小型の土製支脚の2種類を製作していた。三種類の神像のなかで、現在は小型の竈神三柱を象った神像を祀る人が多い。しかし、年配の人たちのなかには土製支脚が竈神であると考える人がいるため、土製支脚も生産している。V.D氏自身も竈神を正しく祀るのは土製支脚であるという。実際には、炉の脇に土製支脚が置かれ、高い場所に作られた祭壇には小型の神像が置かれ祀られている(図6)。

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図6:土製支脚(下)と竈神の祭壇(上)

事例7 フンホー村 H.N氏 男性 59歳(2012年当時)(2012年8月聞き取り)

家は新しいが伝統的家屋の造りである。主屋と左側に建てられた付属屋の奥に地炉があり、五徳と大型の缶を使った手作りのコンロが置かれている。別の場所にガスコンロがあり、2000年ごろから使用している。竈神の祭壇は地炉のある場所の高い位置に作られている。子どもの頃には地炉に土製支脚が置かれていて、その時は土製支脚が竈神だったため地炉で祀っていたという。土製支脚を使用しなくなり高い位置に祭壇を作ったが、そこでは大きな土製支脚を祀ることはできないので小型の神像を置いている。

事例8 フォックティック村 L.D氏 男性 68歳(2014年当時)(2014年9月聞き取り)

L.D氏の家の敷地には、小さな博物館が作られ、フォックティック村で使用され、また製作されてきたさまざまな陶器が展示されている。屋外には、昔の台所が再現されている(図7)。地炉には土製支脚が置かれ土鍋がその上に乗せられている。その奥に小型の土製支脚を象った神像が祀られている。L.D氏によれば、土製支脚は煮炊き用の実用品であり、大切に扱っていたが竈神の神体ではなかった。土製支脚を使用していた時から小型の神像(土製支脚を象ったもの)が置かれていたという。そして、実用品の土製支脚も神像である小型の土製支脚も儀礼の時には廟や庵、木の下などに置いて新しいものに交換していた。

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図7:昔の台所(再現)

フォックティック村は窯業の村であるため、早くに小型の竈神の神像が生産されて実用品の土製支脚とは別に祀られたと考えられる。それが多少の時間差を経て、また台所の形態が変わる過程でフエ地域のほかの村や集落に広まったと思われるが、このことはまた別の機会に取り上げたい。

(3)陰暦12月23日 フエ地域の竈神の送神儀礼

陰暦12月23日にフエ地域の人々はそれぞれの家で竈神を見送る儀礼をする。その儀礼のあとに再び、大きな木の根元や地域の廟の片隅に神像を置いて竈神を見送らなければない(Trần Đại Vinh 1995:85)。

実際に12月23日、フエの人々は家で儀礼を行ったあと、1年間祀った竈神の神像を持ち家を出て、大きな木の根元や地域の廟や庵など神聖な場所に置き見送り儀礼をする。そして家の竈神の祭壇には新しい神像が置かれる。2012年の調査では、12月23日の日付が変わると同時に家で儀礼を済ませた人々が、地域の廟にある大きな木の下に神像を置きに集まっていた。その神像は小型の竈神三柱を象ったものが多かったが、なかには三つの土製支脚もあった。煤などが付いていない綺麗な土製支脚であったことから実用品としてではなく、竈神の神体として祀っていたものだと思われる(図8)。2018年にディアリン村で神像製作の調査をした際、土製支脚を神像として製作していることからも、土製支脚を竈神として祀り儀礼のあとに交換する人々がいるのだろう。

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図8:竈神(王)の交換(現在)

4.ベトナムの竈神と竈  ーアンリ・オジェ編纂の版画を中心にー 

ベトナムの家庭で煮炊きに使用してきた竈は、鍋や釜などを三点で支える土製支脚であった。今から4000〜3000年前に出土した土製支脚は多少の形態の違いはあるものの現在も使用されている。オジェ編纂の版画からも20世紀初頭の北部地域で、土製支脚は煮炊きをする際の主要な道具であったということを読み取ることができる。版画には土製の移動式焜炉も何点か描かれており、土製支脚や焜炉を併用して調理をすることが17世紀から20世紀初頭の北部地域、現在のフエ地域において継続されてきたことが確認できる。一方、いわゆる竈、中国や韓国、日本にみられる造り付け竈は、ベトナムでは家庭での煮炊きには使用されなかった。

竈神を祀る儀礼をみてみると、版画には竈神として祀られている土製支脚と五徳が描かれている。そして、竈王の交換と書かれた版画には、木の下に土製支脚や土製の移動式焜炉が置かれている。土製支脚だけではなく五徳や焜炉もまた竈神の神体と考えていたということであろう。フエ地域では、竈神の儀礼の際に今でも土製支脚や神像が木の下に置かれて新旧の交換が行われている。家での祀り方は変わってきているが、土製支脚を実用品として使用していた頃の名残があり、実用品として使用しなくなったあとも竈神として祀っていたことを記憶している人々もいる。実用品としての使用はほとんどなくなったが、フエ地域では現在もまだ土製支脚を生産している。それは土製支脚を竈神の神体として祀っている人々が少数であるが今もいるからである。

北部地域でも以前は農村だけでなくハノイ市内でも家で土製支脚を作っていた、そして儀礼の日に土製支脚を池に捨て新しいものを置いていたという話を聞く。中部や南部地域でも以前は家で土製支脚を作っていた人々がいる。また、現在、北部地域では儀礼の際に土製支脚である竈神を象徴する三つの冠と靴をマーとして用意する。儀礼には必須の祭具である。

オジェが編纂した版画の時代20世紀初頭から現在にかけて台所の形態は変わり、それに伴い竈神の祀り方も変化してきた。特に地炉に置かれた土製支脚や土製焜炉、五徳から高台にガスコンロが設置されるようになったことは、それぞれの地域で竈神の祀り方が変化したことの大きな要因だと考えられる。版画に描かれた土製支脚と竈神は、現在はフエ地域でみることができ、多くの家庭では神体を小型の神像に変えながら土製支脚であった竈神が継承されている。しかし、フエ地域以外でも長い時間をかけて使用されてきた土製支脚は、三柱の神として人々に信仰されている。

おわりに 

 本稿で述べてきたように、ベトナムの竈は地炉に置かれた土製支脚であった。三つの支脚で鍋・釜を支えるこの煮炊きの道具は、後期新石器時代後半から現在まで使われて続けており、20世紀初頭の版画には、土製支脚を調理に使用する人々の様子と土製支脚を竈神として祀る様子が描かれている。

しかしオジェ編纂の版画が描かれてから約100年の間に台所の形態は変わり、地炉から高台にガスコンロが置かれるようになると竈神の祀り方も変化していく。現在、土製支脚を神体とした竈神はフエ地域で継承されているが、しかし多くは小型の神像に変わり祭壇で祀られている。台所の形態や生活環境の変化に応じて竈神の祀り方はこれからも変化し続けていくのだろう。その時、土製支脚をもとにした三柱の竈神はどうなるのだろうか、人々の暮らしとともにある竈神のこれからにも関心を向けていきたい。

今回は版画に描かれた煮炊き道具について詳細に見ていくことができなかった。今後の課題として、ベトナムにおける煮炊き道具や燃料、用途などについて版画に描かれたものと実際のものとを比較し、物質文化研究として深めていきたい。


References

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11 . 西村昌也2011『ベトナムの考古・古代学』同成社, 

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